大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成8年(ワ)21990号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

紙子達子

被告

東京都石油業協同組合

右代表者代表理事

丁田二郎

被告

乙川太郎

被告

丙山一郎

右三名訴訟代理人弁護士

大川宏

野島正

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、連帯して、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成八年四月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

原告は、被告東京都石油業協同組合の従業員であったところ、その上司であった被告らに宴会の席で飲酒を強要された上、二次会への出席を強要されるなどの行為(セクシャル・ハラスメント)によって多大な精神的苦痛を被ったとして、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  被告東京都石油業協同組合(以下「被告組合」という。)は、組合員の取り扱う石油製品の共同受注、組合員の取り扱うオイル量器、燃料油計等の共同購買等の事業を目的とする協同組合である。

被告乙川太郎(以下「被告乙川」という。)は、被告組合の専務理事で、実質上被告組合を統括し、従業員の指揮監督の責任者としての立場にあり、被告丙山一郎(以下「被告丙山」という。)は、被告組合の総務部長である。

原告は、平成五年三月上智短期大学英語科を卒業し、株式会社丸井に勤務した後、平成七年二月二五日、被告組合と雇用契約を締結し、業務部事業課に配属されたが、平成八年四月三〇日付けで被告組合を退職した。

2  平成八年四月一日、被告組合の新年度の初日であったことから、新年度開始の行事として、従業員全員が出席して、同日の勤務時間終了後、東京都千代田区永田町所在の石油会館ビル五階会議室において、被告乙川の訓話や打ち合わせが行われた。その後引き続いて午後六時三〇分ころから、東京都港区赤坂所在の居酒屋「千代都」の座敷において、懇親会(以下「本件宴会」という。)が開催され、本件宴会が午後九時ころ終了した後、一部の従業員は、東京都港区六本木所在の居酒屋「昌楽亭」で行われた二次会に参加した。

二  主たる争点

1  不法行為の成否

(一) 原告の主張

被告乙川及び同丙山は、本件宴会において、原告に飲酒を強要したばかりか本件宴会終了後、明確に拒否した原告に対し、二次会への出席を強要し、原告の身体の自由を奪った上、タクシーに無理矢理乗せ、その間、泣き叫んで嫌がる原告を二次会会場へ連れて行こうとした。

また、六本木でタクシーを下車した後、原告は、慣れない飲酒や被告らの右行為に対する恐怖のために心身ともに異常な状態にあったところ、被告乙川は原告を放置してそのまま二次会に参加し、被告丙山は、原告を長時間路上に放置した後、原告を再度タクシーに乗せて自宅方向に向かったが、原告がタクシーの中で吐き気を催したため、タクシーを下車して再度原告を路面に横たえて放置した後、ようやく午後一一時すぎになって、通行人の協力により、救急車で東京都立大久保病院(以下「大久保病院」という。)に搬送された。

さらに、被告乙川及び同丙山は、同日原告の家族に対し、また、翌日被告組合の従業員に対し、自己の責任を隠蔽するために「原告は、宴会で飲み過ぎて救急車で病院に運ばれた。」旨の虚偽の事実を述べて、原告の名誉を侵害した。

被告らの右行為は、不法行為であるから、民法七〇九条、七一〇条に基づいて、原告に生じた精神的損害について賠償すべき義務がある。

(二) 被告らの主張

原告の主張は、否認ないし争う。

被告丙山及び同乙川は、本件宴会中飲酒を強要した事実はない。また、本件宴会終了後の二次会参加についても、原告が自発的に同行したものであって、被告らが強要した事実はないし、六本木でタクシーを下車した後、被告らが路上に横たわる原告を放置した事実もない。六本木でタクシーを下車した後、原告が帰宅したい旨被告丙山に申出たため、被告丙山は原告を送り届けるため、再度タクシーをつかまえて乗車し、原告の自宅に向かったところ、原告が吐き気を催したため、途中で下車し、嘔吐する原告を介抱するなどした後、通行人に依頼して救急車を呼び、東京都立大久保病院に搬送される原告に付き添った上、原告の家族に連絡したもので、原告を路上に放置したことなどない。

2  損害

原告は、被告らの不法行為により多大な精神的苦痛を被り、これを慰謝するには三〇〇万円を下らない旨主張し、被告らはこれを争う。

第三当裁判所の判断

一  被告らの不法行為(セクシャル・ハラスメント)について

1  (証拠略)、原告、被告乙川及び同丙山各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められ(当事者間に争いのない事実を含む。)、右証拠中これに反する部分は信用できず、採用しない。

(一) 本件宴会は、座敷で行われ、当初、原告は、被告乙川及び同丙山の座っていたいわゆる上座から離れた自席で食事をしたりビールを飲むなどしていたが、先輩の女性従業員から被告乙川及び同丙山に挨拶に行くように言われて、同時期に被告組合の従業員となった他の二名の女性とともに、右被告らの席まで行き、挨拶をすると同時にビールや日本酒のお酌をしたりしていたが、被告乙川及び同丙山から原告も飲酒を強く勧められ、日本酒を飲んだ。

午後九時ころ、本件宴会は終了したところ、原告は、飲酒が苦手であったし、原告自身は経験がなかったものの、日頃、先輩の女性従業員から被告乙川及び同丙山が宴会の席で、飲酒を強要したり身体を触ったりするという噂を聞いていたため、二次会に参加する意思はなく、同僚とともに帰宅しようと考えていたが、解散途中で同僚とはぐれてしまい、一人で会場を出て帰宅することにした。

(二) ところが、「千代都」の三階の宴席から降りて路上に出る途中で被告丙山から二次会に参加するよう誘われた。原告は、これを即座に拒否したが、なおも被告丙山は、二次会への参加を勧めるとともに、原告の腕を取ってすでに被告乙川が乗車していたタクシーに乗車させて六本木に向かった。その車中で、原告は、隣に座っていた被告丙山に対し、二次会への参加者のことなどを尋ねてみたが、女性の参加者はいない様子であったことや、もともと二次会に行きたくなかったこと、被告丙山の強引な態度に不安を抱いたことなどから、被告丙山及び同乙川に帰宅したい旨訴えたが、そのうち、気分が悪くなり、意識が朦朧としてきた。

(三) 一〇分ないし一五分後、六本木に到着してタクシーから下車すると、被告乙川は、二次会に参加する後続者を待つためにその場にいたが、被告丙山は原告とともに二次会の会場に向かおうとした。しかし、原告がなおも帰宅したい旨被告丙山に訴えたので、被告丙山は、酒に酔って気分が悪そうな原告の様子を見て、原告をその自宅まで送り届けることにして、五分ほど待ってタクシーを拾うことができたので、原告とともに乗車した。タクシーは、防衛庁の方向に向かって、外苑東通りを右折し、六本木交差点を再度右折して外苑西通りを進行していたところ、千駄ケ谷でJRのガードをくぐった付近で、原告が気分が悪く吐き気を催した旨述べたのに対し、タクシーの運転手が車中では困る旨述べたので、新宿区大京町付近でタクシーから下車した。すると、原告は、すぐに新宿御苑の内藤町側の門の付近の歩道上で嘔吐した。

(四) 本件宴会の当日は、終始雨が降っていたので、被告丙山は、原告の肩を持って、近くの歩道橋の下まで連れていき、雨宿りをすることにしたが、歩道橋の下でも原告は、引き続き嘔吐していたので、被告丙山は、原告の背中をさするなどしていた。同時に被告丙山は、周りの様子を見たが、付近に店もなく、通行人もまばらであったので、思案にくれていたところ、三、四人の男性グループが通りかかったので、そのグループに救急車を呼ぶように依頼した。その後、原告は、到着した救急車で大久保病院に搬送された。被告丙山は、それに付き添い、同病院到着後、医師に対して原告が飲酒していたことや原告の症状の説明などをした後、原告の家族に連絡して帰宅した。

なお、当日救急車を呼んだ時刻は午後一一時〇四分で、午後一一時〇九分に救急車は現場に到着し、午後一一時一八分に現場から病院に向かい、午後一一時二六分ころ、大久保病院に到着した。また、原告は、同病院において、急性アルコール中毒と診断され、点滴等の処置を受けた後、迎えにきた家族とともに帰宅した。

(五) 原告は、翌日、前夜のことで気が動転していたこともあって、欠勤することにして、家族を通じて被告組合に連絡した。原告は、前夜のことについて、六本木でタクシーから下車した後のことは、付近の店の軒下で雨宿りをしたこと、そこから再度タクシーに乗車したが、途中で下車して嘔吐したこと、路上に横たわったことがあり、その際被告丙山の足が見えたこと以外はほとんど記憶がなかった。また、原告は、翌日起床した際、自分の髪の毛に木の葉や細かい枝が絡みつき、着ていたセーターの袖口が汚れていること、手の指の爪に黒い土のようなものが詰まっているのに気づいた。さらに、原告は、本件宴会の二日後も欠勤し、友人宅の近所の医院に受診し、休養した後、被告組合を退職することにし、継続中の仕事を処理した後の平成八年四月一六日、被告組合に退職届を提出し、同月三〇日付けで被告組合を退職した。

一方、被告丙山は、本件宴会の翌日、被告乙川に前夜の報告をした。

2  ところが、原告は、本件宴会終了後、タクシーに乗車するまでの状況について、被告丙山に対し大声で抗議したこと、被告丙山が原告をタクシーに乗車させた行為は、被告丙山を殴るでもしない限り、逃れることができないほど暴力的であったこと、また、車中においては、泣き叫んで抗議し、あまりの恐怖感で失神した旨、その本人尋問において供述する。

確かに、六本木に到着後、被告丙山及び原告が二次会に参加せず、原告の自宅に向かおうとした事実に照らせば、原告が二次会に参加する意思はなく、それを拒否していたことは前記のとおりというべきであり、被告乙川及び同丙山の当日原告はいつになくはしゃいでいて自発的に二次会に参加するべくタクシーに乗車した旨の各本人尋問における供述は信用できない。被告ら提出にかかる各質問書(〈証拠略〉)には、当日、本件宴会で原告が通常よりも多く飲酒して楽しげであった旨の記載も見受けられるが、それは、本件宴会が終了するまでのことであって、その後も喜んで二次会に参加するつもりであったことの裏付けとはならない。

しかし、一方において、右原告本人の供述を裏付ける証拠もなく、原告が実際に大声で抗議するなどしていれば、周りにいた同僚なども気づくはずであることからすると、にわかに信用することはできないし、被告丙山が原告をタクシーに乗車させる際、当日は雨が降っていたことから傘や鞄を持っていたこと(被告丙山本人尋問の結果)、被告丙山は六本木まで行ったものの結局は原告をその自宅まで送り届けようとしたことなどからすれば、前記のとおり強引であったことは否定できないとしても、暴力的というのは誇張にすぎるというべきである(原告も、周りにいた男性従業員らが止めようとしなかった旨、その本人尋問において供述しており、そのことからすると、男性従業員らからは、被告丙山が激しく抗議する原告を無理矢理引きずって行こうとしているとまでは見えなかったものと推認することができる。)。原告が車中で泣き叫んで抗議した末恐怖のあまり失神したとする点についても、これを裏付ける証拠はなく、恐怖のために失神したことを根拠づける客観的な証拠もないばかりか、原告も車中で二次会に参加する他の従業員のことを尋ねていることは認めていること(原告本人尋問の結果)、タクシーから下車した後、自分で歩行していたことからして、泣き叫んで抗議したあげく恐怖のあまり失神したというのは不自然であって、直ちに信用することはできない。その後一連の経過の中でも、原告の記憶は断片的であること、本件宴会において飲酒の苦手な原告が通常よりも多く飲酒したこと(原告本人尋問の結果)、前記のとおり大久保病院において急性アルコール中毒と診断されたことなどからすると、車中で原告の意識が朦朧としたことがあったとしても、アルコールの影響によるものと推認することができる。

なお、原告の飲酒量について、原告は、陳述書(〈証拠略〉)にビールコップに三分の一程度、日本酒がお猪口に六杯程度であった旨記載しているが、多数人の宴会の席でもあり、互いに酌み交わすことが通常であることからすれば、原告の飲酒量をその陳述書の記載どおりであると断定することは困難である。ただ、これまで多いときでもビールをコップ二杯程度しか飲酒したことはない(原告本人尋問の結果)原告からすれば、かなり多量に飲酒していたということはできないにしても、少なくとも通常よりも多量に飲酒した状態であったということはできる。

前記1記載の事実や右認定によれば、被告乙川及び同丙山が、嫌がる原告に無理矢理飲酒させた上、身体の自由を奪って二次会へ参加させるべくタクシーに乗車させたとまでいうことはできない。右被告らの、本件宴会において原告に対して飲酒を勧めた行為や二次会に参加させようとした行為には、強引で不適切な面があったことは否定できないとしても、飲酒した宴会の席では行われがちであるという程度を越えて不法行為を構成するまでの違法性があったとはいえず、被告乙川及び同丙山に不法行為は成立しない。

3  次に、原告は、六本木でタクシーから下車した後、被告乙川及び同丙山が原告を放置したこと、さらにそこから原告の自宅に向かう途中、気分の悪くなった原告を被告丙山が路上に放置したことなどを主張し、原告はその本人尋問で同趣旨の供述をし、種々陳述書(〈証拠略〉)も提出する。

まず、六本木でタクシーから下車した当時、被告乙川が原告に付き添わず二次会の会場に向かったことは前記のとおりであるが、当時原告は自分で歩行することができた(六本木でタクシーから下車した当時、原告が気を失って路上に横たわったことを認めるに足りる証拠はない。)上、被告丙山が付き添っていたことからすれば、被告乙川としては、自分が直ちに原告の家族に連絡するなどの措置を採る必要があると考えなかったとしても、やむを得なかったというべきであり、被告乙川に不法行為の成立する余地はないといわざるをえない。

そして、原告には、当時の記憶が断片的にしかないところ、大京町付近でタクシーから下車した際、被告丙山が長時間にわたり、気を失った原告を路上に横たえたまま放置したことの根拠として、本件宴会終了後、救急車の到着まで二時間余りかかっていること、前記のとおり原告の衣服が汚れ、髪の毛に木の葉等が付いていたこと、爪に土が詰まっていたと(ママ)こと、原告に路上に横たわっていた記憶があることなどを挙げる。

しかし、本件宴会が九時に終了し、そこから一〇分ないし一五分後に六本木に到着し、五分ほどタクシーを待って新宿区大京町付近で下車したのが午後一〇時ころであった旨の被告丙山の本人尋問における供述には特段不自然な点はない。原告は、通常であればこれほど時間はかからないと主張するが、本件宴会が九時に終了したとしても、解散するまでに多少の時間はかかるし、六本木でタクシーがすぐに拾えなかったとしても、当日雨が降っていたことからすると、そのようなことも十分考えられるし、タクシーの乗車時間にしても、車両の通行量や降雨などの状況によって所要時間に変動があることは珍しくなく、原告が通常かかるとする時間についても日中の所要時間であり、両者を単純に比較することはできない。前記によれば、大京町でタクシーから下車した後救急車が到着するまで約一時間が経過しているが、下車直後、原告が嘔吐し、その後気分の悪い原告の肩を持って歩道橋の下まで行き、そこでも原告が嘔吐を繰返したことや被告丙山は連絡する術もなく思案にくれていたという状況からすれば、その程度の時間がかかったとしても(望ましいこととは言えないとしても)、やむを得なかったというべきであり、被告丙山はその間原告に付き添っていたのであるから、原告を放置していたということはできない。確かに、原告がタクシーから下車した大京町付近は新宿御苑の近くで樹木があり、しかも雨が降っていた状況の下で、原告がタクシーからの下車直後歩道上で嘔吐したり、自分で歩行するのもままならない様子で、歩道橋の下まで行き、さらにそこで嘔吐を繰返したことからすれば、原告が路上に横たわるような状況があった可能性は否定できず、その際、原告の衣服が汚れ、髪の毛に木の葉が付くなどしたことは十分に考えられるところである。しかし、そうだとしても、前記の被告丙山の行動に照らせば、原告を理由もなく長時間放置していたということはできない。

結局、原告の主張を裏付ける証拠はなく、原告の主張は、断片的な事実からの推測の域を出ないものというほかなく、被告丙山にも不法行為は成立しないというべきである。

4  さらに、原告は、被告丙山や同乙川が原告の家族や被告組合の従業員に対し、「原告が宴会で飲み過ぎて、救急車で運ばれた。」と虚偽の事実を述べた旨主張する。

まず、原告の家族に対し、原告の症状を告げるのはむしろ当然であるところ、前記のとおり原告は大久保病院において急性アルコール中毒と診断されているのであるから、虚偽の事実を述べたということはできない。なお、医師の診断に際しては、被告丙山の説明も考慮されたことは否定できないとしても、医師の診断はその説明のみからなされるわけでもなく、それに対応した処置の後、原告が帰宅できる状態になったことからしても、飲酒の苦手な原告が理由はどうあれ、通常よりも飲み過ぎて気分が悪くなったことは否定できないのであって、虚偽の事実であるということはできない。

また、被告丙山は、翌日同乙川に対し、前夜の報告をしているが、それも当然の義務というべきことであり、その他の従業員に対し、虚偽の事実を流布したことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点に関しても被告らの不法行為は成立しない。

二  以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例